どこからどこまでが自分?

ド近眼なものでコンタクトか眼鏡が無いと生活が出来ない。
裸眼だと外に出るのも恐ろしいし、仕事をするのもほぼ不可能だ。僕はコンタクトか眼鏡がないと生きていけない。
昔「眼鏡は顔の一部です」がキャッチフレーズのテレビCMがあったが、もはやコンタクトや眼鏡は顔だけでなく自分の一部と言って良さそうだ。

服だって自分の一部と言っても良いのかもしれない。
ほとんどの人間は全裸で過ごす時間より何か着ている時間のほうが圧倒的に多いし、全裸で街に出たら捕まってしまう。
ヤドカリを想像するとき大抵の人間は貝殻に体を収めた姿を想像する。裸のヤドカリはあまり想像しない。それと同じ感じだ。

じゃあ次は体の外側から内側のことを考えてみよう。
食べ物を食べる事で人間の体は出来ている。
口に入れる前のものは僕では無いけど
口に入れたものは消化され僕の体の一部となってる。
昨日食べた焼き肉の肉は少し前まで「牛」だったけど、
昨晩から僕になった。

眼鏡、コンタクトも僕。
服も僕。
食べ物も僕。

どこからどこまでが自分なのだろう。

今朝布団の中で目を覚ましてすぐにそんな事を思った。
そして布団から出て絵を描きたいという思いと、このまま布団の中でスマホを使ってブログを書きたいという思いで迷った。
結局布団の中でゴロゴロを選びこうしてブログを書いている。
この文章は僕の頭の中で生まれたものだ。
僕の頭の中にあることを書き記したこのブログは僕の一部だろうか?

・・・ダメだ、もうそろそろ布団から出よう。無限に広がってしまう。