<ここには面白いものが沢山あるぜ> ガツガツ
<ニャアニャアも、ここまでは来れまいて> ガツガツガツ
<今宵も自由を謳歌するのだ!> ガツガツガツガツガツ
<見よ、この強靭な歯を!全てを噛み砕いてみたいのだぁ!>
ドーーーーン!!
<うぉ、何事だ!>
ドーーン! ドーーン!
<下から不気味な音が響いてきやがる>
ドーーン! ドーーン! ドーーン!
<逃げろ、逃げろ。なんかやべぇぞ!>
<嫌だね。こんな素敵な楽園を捨てられるかって>
自然の声 「毎日うるせぇネズミだなぁ。おかげで電気が付かなくなったし、
もう我慢ならん!」
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今日は、仕事帰りにドラックストアーでネズミ退治グッズを見てきた。
殺鼠剤か忌避剤かで迷っている。
それとネズミからすれば、人間も、人間が作った様々なモノも、
全て自然の一部だ。殺鼠剤や忌避剤は理不尽な天災でしかないなと思った。
しかし縄張り争いも生命の本能だ。
やるしかないのだ。
ところが、1つ大きな問題がある。
彼らが喜びを謳歌する大地は、2階の床である1階の天井と
アトリエである地下室の壁、それらの中。
外側の世界と内側の世界を隔てている、
その壁の中へと立ち入ることは、容易ではないのだ。
薄いのに。
実際、彼の唯一の仕事は、
偶然というものに機会を与えることであったが、
その偶然たるや刺激されねば動き出さぬという場合があまりにも多い。
カミュ「ペスト」より
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先日、思いっきり最後のひと押しをしたら、
馬の作品が想像以上にうまくいき、
興奮してしまった。
そしてその勢いで現在「木とキリン」という作品を制作中。
今年の秋は、のんびりと美術館やギャラリーを回っていた。
そして作品制作より、考えをまとめることに時間を割いていた。
とてもいい時間だった。
気付くと、(いや正確には気付いていたのだが、なるべく考えないように
していた。考えると気が遠くなるので。)
年末、年始、来年、と展示の予定がぎっしり埋まってしまった。
だいぶ追い込まれてきたので、ガンガン制作に取りかかります。
自らの尻に鞭を打って。
作品制作時、動物の資料をしばしば用いる。
木製パネルの横に資料を置き、じっくり眺めて形を覚える。
そして、それを「無視」する。
とても愉快だ。
物事を拒否した瞬間、その一瞬に自由を感じる。
資料を見ては「無視する」を繰り返す。
僕が自由を感じているのだから、当然それは画面にも現れる。
しかし僕は根っからの否定的な人間なので、
無視するということも拒否しだす。
なので結果的には、ある程度の形を保つことになる。
資料の動物に似てるけど似ていない、変なものが出来たりすると
とても愉快だ。
以前読んだなんかの本に、熊谷守一さんは手紙が来ても名前も見ずに捨ててた
という話しがあった。
小心者の僕には、さすがにそこまでは出来ないが、
最近、パソコンのメールチェックをしないという行為にハマってる。
基本は3、4日。長くても一週間ぐらいだけど。
そんなことでも自由を感じるのだ。
ちなみに今日で3日目。
もし僕のパソコンに、メールを送られた方がいたら、
ごめんなさいね。
明日チェックしま〜す。